アラフォー王子(おぢ)のわがままBLOG

~いつまでもイケイケでいられるように Let’sアンチエイジング~

【ワンオペ育児がツラすぎて地獄】健診から嫁が帰って来なかった時のお話し

\\シェアしていただけたら、おぢの喜びが爆発します//

今年を振り返った時「我が家は今年、何事もなく平和でした」

と言えるのがどれだけ幸せなことか…

去年の地獄に比べれば今年の苦労なんざ…

と思いふけっておりました。

 

YO-SUKEです。

 

これはおぢがワンオペ育児で地獄を見た時のお話しです。

待ち望んだ授かりもの

「お兄ちゃんになるんだよ」

去年、長男坊の10歳の誕生日にサプライズ報告した時の事です。

ずっと弟が欲しいと言っていた長男坊へ

ようやく最高のプレゼントが用意出来たんです。

 

そう、ママちゃんが妊娠したのだ。

 

長男坊が産まれてから妊活していたが中々うまくいかず

私たちも、気付けばもうアラフォー。

もう諦めかなと思っていた時の事だったので

本当に奇跡を感じ、凄く嬉しかったんです。

しかし同時に不安もありました。

 

ママちゃんは長男坊を産んだとき「切迫早産」になっていたんです。

当時、治療のために早い段階で長期間、入院していたのだ。

その時、私は一人暮らしに慣れっこだったこともあり苦にもならず

むしろ、快適に自由に一人暮らしを楽しめていたんです。

もちろん定期的にママちゃんに会いに行っていましたけどね。

 

しかし、もし今回も早くに長期入院してしまうと

長男坊の面倒は私が見なければならない。

仕事をしながら私に出来るのかと不安に思いながらも

長男坊ももう10歳なので、協力すれば何とかなる。

そもそも、出産まで入院しないでいけるのではと楽観視していました。

ママちゃんが帰ってこない

そして去年の秋も始まる頃、急にその時は訪れました。

 

ママちゃんは、定期健診のついでで買い物してくると出かけたんですが

仕事していると一本の電話が。

「切迫早産の可能性ありで、今日帰れなくなりました」

今回はなんとか大丈夫そうだねーと話していて

すっかり安心していた矢先のことです。

 

家事は全てママちゃんに任せていたのですが

まぁ何とかなるでしょと、そこの不安はありません。

長男坊も協力してくれるほどにしっかりしているので

「こっちは大丈夫だから心配しないで任せて」

と強がってみせ、いよいよ男二人の生活が始まりました。

地獄の始まり

最初は良かったんです。

 

私が仕事で家を出るのが登校よりも早かったんですが

長男坊が一人でも学校行けるように準備をし

仕事終わって帰ってから家事も全てこなす。

 

長男坊には極力負担をかけたくない。

私一人でできる。

いや、やらなければならない。

 

趣味を捨て、睡眠時間を削り(毎日2~3時間程)

ひたすら仕事、家事、育児に専念しました

 

そんな時、長男坊が熱を出し咳が止まらない状態になり

コロナウイルスでは…と仕事も休みをもらい検査へ。

結果は陰性。

ホッとしたが、これがすべての引き金に…

 

熱はすぐに治まったが咳がとれない。

コロナ禍で、症状があると学校にも行かせられず

咳が落ち着いて行かせても、学校で咳が出ると学校側は早退させてくる。

 

親元を離れ近くに頼れる人もいなかった私は

病院へ連れていくには仕事を休むしかなかった。

精神的に追い詰められる

職場からは「また休むのか」

学校からは「病院に連れて行って検査を受けてください」

私のせいで職場にも迷惑をかけてしまう。

私のせいで長男坊は学校に行けないでいる。

どんどん心に余裕がなくなっていくのを感じました。

 

「何かあればあいつはすぐ仕事を休む」

「あそこの親は子供を病院にも連れて行かない」

「お前は息子を学校にも行かせてやれないのか」

と周りから言われているような気がして…

とにかく周りの目が気になってしょうがなくなったんです。

 

仕事に行く。学校に行く。

早退。学校を休ませる。

仕事を休む。病院に連れていく。結果は陰性。

何回これを繰り返したか…まさに地獄でした。

 

「周りに迷惑をかけたくない」

「遠くにいる親にも心配はかけさせたくない」

「ママちゃんにも不安を与えないよう完璧にこなさなければ」

それを繰り返した結果、心が壊れました。

 

私なりに仕事も家事も育児も

自分を犠牲にして最善を尽くしているのに

世間もコロナ禍でこんなに我が家も苦しんでいるのに

どうして周りは理解してくれないのか。

 

誰も私の味方はいない。

 

ある日、どんどん動悸が激しくなり吐き気もひどくなり病院へ。

診断は「適応障害」でした。

適応障害と診断されて

私、自他ともに認めるパリピだったんです。

チャラチャラしててポジティブでひゃっほーって感じで

俗に言う「何も悩みなさそう」なタイプだったんですが

まさかそんな自分が「適応障害」と診断されるなんて…

 

とショックだったこともあったんですが、それ以上に

あぁーそんなに自分病んでたんだ…無理してたんだなと

今の自分の限界を知れた気がして逆にスッキリしたんです。

 

職場も変えて、長男坊が休むことも自分のせいではない

これから産まれてくる我が子を笑顔で迎えられるように…

と気持ちを入れ替えられたんです。

そして解放へ

それから間もなく二男坊が産まれ

母子ともに元気な姿で帰ってきました。

もちろん私と長男坊も笑顔で迎える事が出来ました。

 

ワンオペ期間、約二か月。

周りからすれば、たったの2か月で何を言ってるんだとなるかもしれませんが

私にとってその2か月間は

今までの人生の中で一番ツラく、本当に地獄のような2か月でした。

ワンオペ育児で苦しんでいる方へ

私がその2か月間で感じたことは

世間のワンオペ育児に対しての、理解と対応力の不足です。

 

近くに助けてくれる人がいて、助けてもらいながらもやっていける人。

本当に助けてもらえる人がいなくて、一人で全てやっていってる人。

それぞれ状況は違うにせよ

自分の事を大なり小なり犠牲にしていると思うんです。

 

そういう方はもっと自分から欲しいものを発信してもいいと思います。

時間が欲しいのか、経済面の助けが欲しいのか、ただ声をかけて欲しいのか。

言い方が悪いかもしれないですが、もっと甘えてもいいと思います。

 

その発信を受けて、周りも理解してあげる事が大事だと思います。

 

自業自得なんですが、私は変なプライドにこだわって

一人で何でもできると思っていましたが、無理でした。

 

ワンオペ育児をされている方はたくさんいるかと思いますが

全てを一人で背負いこむのは限界があります。

限界を超える前に助けを求めてください。

周りの方は気付いてあげてください。

 

あなたは一人じゃないですよ。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今後とも皆様応援いただければ幸いです!

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